2018年9月18日、格闘技の一時代を築いたスーパースターが亡くなりました。
山本徳郁。
「格闘技の神様の子供、俺は。神の子」
というフレーズに違わぬ、数々の名試合と衝撃を、ファンの心に刻んでくれた選手だと思います。
「あんな強い男でも死ぬんだ」
というのは、多くの方が思った事でしょう。
今回は、41歳という若さでなくなったカリスマ、山本KID徳郁に関して書いていきます。
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他のどんな試合も越えられない「KID対村浜」がくれた衝撃
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私が初めてKID選手を見たのは、対村浜武洋戦。
確か高校生くらいの頃だったと思います。
2004年K-1 World MAX・日本代表決定トーナメントでした。
確か魔裟斗は既に日本トーナメントには出ていなかった時期だと思うので、そんな面白い試合はないだろうなと思いながら見ていたと記憶しています。
「KID対村浜」魔裟斗も村浜がそのトーナメントの優勝候補と推していたので、まぁ村浜が勝つんだろうなといったくらいです。
しかし、リングでのフェイスオフで見せた目つき。
喧嘩っぱやそうな面構え。
とてつもなく向上した背中。
「怖い」というのが私の第一印象だったと思います。
キックボクシングが強いなというよりも、感じたのは「喧嘩」「暴力」というワード。
今でこそ多くの選手を知っているので驚かないですが、当時知っていた選手と言えば、ボクシングの畑山選手か魔裟斗くらい。
ここまで暴力性をリング上に持ち込んでくる選手を初めて見たのです。
K-1で禁止されている投げ、ダウンを取ってから審判の肩越しに村浜に見せつけた、人を殴るのが楽しくてしかたないといった目つき。
所謂ぶっとんだ目つきです。
そして相手が背を向けてからの追撃や、ダウンを取ってから相手を跨ぐパフォーマンス。
「ルールなんて知らない、ただ人を壊したい」
そう思いながら村浜を仕留めているかのような、他の選手とはすべてが違うという次元にいました。
14年たった今でも印象に残っている試合です。
おそらく多くの人が初めてKIDを見たシーンでしょう。
私と同じ気持ちの方も多くいたと思います。
なんか怖い、けど、次の試合が早く見たい。そう思わせてくれました。
ちょっと余談ですが、KID選手がK-1ルールで勝ったのはこの1試合のみなんですよね。
この印象があまりに強くて、他でも結構勝っているんだろうと思いがちですが、魔裟斗、マイク・ザンビディス、チョン・ジェヒには負けているので、これだけです。
勝田戦、ナラントンガラグ戦で見せた殺気
その後はトニー・バレント、安廣一哉に総合ルールで勝利。
後から考えれば、この2試合はKIDが一本勝ちをした珍しい試合となっています。
安廣戦も、フロントチョークをかけられるなどピンチのシーンもありましたが、そこから抜け出した後はまるで獰猛な肉食獣のように安廣に鉄槌を食らわします。
結局最後は腕十字で終わらせました。
本人お終わった直後「やっべー!」と言っています。
安廣戦の後は、対ジャダンバ・ナラントンガラグ。
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KIDよりも一回りも二回りも大きい選手でした。
この時のKIDはまず、入場からして格好良かった。
レゲエのリズムに乗りながら、体を揺らし花道を通る。
こういう時のKIDは調子がいいそうです。
試合で見れたのは、KIDのレスリング仕込みの腰の強さ。
開始30秒でナラントンガラグをテイクダウン。
一旦立ち上がられるも、腰に粘りつくKID。
実況・解説も言っている通り、打撃であればナラントンガラグ、KIDは寝技で勝負するのか。
と思っていた矢先、KIDがナラントンガラグの右ハイを受けたところを、カウンター右ストレート一閃。
崩れ落ちるナラントンガラグに無慈悲なパウンドで、試合終了です。
審判が止めなければ、そのまま死ぬまで殴り続けるんじゃないかと言う殺気がKIDにはあり、それが一番の魅力なんですよね。
その魅力が一番出たのが、修斗時代の対勝田戦。
勝田は、試合前にKIDのバッグボーンであるレスリングを侮辱したらしく、それにKIDは相当頭に来ていたそうです。
顔を見てもそんな感じ。
序盤からいきなりタックル。
試合は終始KIDペースで、勝田は完全に押されています。
勝敗の行方は誰の目にも明らかな試合内容でしたが、問題はそのラスト。
KIDは審判の静止にも構わず、明らかに意識が飛んでいる勝田に対してパウンドの連続。
しかも舌を出しながら。
両陣営のセコンド陣が入り込んで、やっと試合は終了。
ちなみにその後も結構リング上を走り回っています。
強いの大変結構な事だが、修斗はスポーツであり、喧嘩ではない。
KIDのした行為は許されるべきことではない。というのが大多数のコメントのようですが、私は好きですね。
私はこういう「問題児」が大好きです。
もちろん力が伴っていないと淘汰されてしまうので面白くないですが、リング上で見たいのは非日常。
ナラントンガラグ戦もそうです。
小さい男が、大男をパンチ一本で倒す。
その非日常を見せてくれるのが、KIDが多くのファンを惹きつけた大きな要因でしょう。
そしてそのナラントンガラグ戦の後、KIDの存在をさらに高める試合を、KID自身が作り上げます。
K-1史上ベストファイト「KID対魔裟斗」
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この試合を、K-1史上最高の試合に挙げる人も多いと思います。
数字的も視聴率は31.6%。
どれだけの人が注目していたかが分かります。
ナラントンガラグを倒したそのままに、リングの上から解説席にいた魔裟斗に宣戦布告。
魔裟斗はキックボクシングのチャンピオンで、しかも試合当日の体重差はおそらく10kg近くはあったでしょう。
キックボクシングに精通している者であればあるほど、KIDが何もできずに負けると予想した試合でした。
魔裟斗と自身も、
「俺にとって何も得のない試合、受けたのは楽な試合だから」
ビッグマウスのようですが、よく考えてみると、確かにそうだなと、戦前であれば思えた一言です。
そんな魔裟斗の言葉とは裏腹に、試合前はどちらが勝つか負けるかの大激論。
魔裟斗が圧倒的に勝つという人もいれば、いや、キッドの踏込のスピードは半端ない、何か起こしてくれるのがKIDだという人もいる。
もうすぐ那須川対堀口の試合が行われますが、流れ的には似ています。
堀口がリング上で那須川に宣戦布告し、那須川は受理。
ルールもキックボクシングルールです。
違うのは、その盛り上がり。
魔裟斗とKIDの圧倒的なカリスマ性。
この2人だからこそ成し遂げられたあの大晦日の盛り上がりは、今のK-1では無理でしょう。
KIDの死後、この試合を見返している方も多いと聞きます。
ゴングがなる直前の会場の雰囲気は、画面越しでも伝わってきます。
試合内容はと言うと、ファンの期待のさらに上をいく素晴らしい内容でした。
1ラウンド、KIDはハイスピード且つ独特のリズムで魔裟斗に良い右を伸ばしていきます。
1分30秒あたりには左のミドルも。
KIDっぽくないなと思いましたが、魔裟斗曰く、このミドルに一番驚いたそうで、かなり綺麗なミドルで威力も結構あったとのこと。
KIDはこの試合前に、タイのムエタイジムに修行に行っていたようですね。
本人もかなりのムエタイ好きを公言しており、雑誌でワンロップとの対談が組まれたりもしています。
そこから生まれたミドルでした。
といっても、1ラウンドのハイライトはこのミドルではありません。
やはり1ラウンド残り1分20秒の所で入ったKIDの飛び込みの左。
解説の畑山選手が「KIDの飛び込みのスピードが半端じゃない」といった矢先、なんと魔裟斗ダウン。
魔裟斗のダウンは、クラウス戦以来の出来事でした。
しかも相手はキックボクサーではなく総合格闘家、そして自分より下のクラスの選手。
魔裟斗は相当悔しかったのではないでしょうか?
さらに、リングに手を付いた魔裟斗に対してKIDはさらに追撃。
やはりこういう所、好きですね。
山中の「神の左」ならぬ「神の子の左」です。
しかし、その後アクシデントが。
魔裟斗の右ローが、KIDの金的に入ってしまいます。
右対左は、蹴りが金的に入りやすく、さらに魔裟斗が普段対戦している相手と比べ背もKIDは低いので、余計に入りやすくなってしまっていたのでしょう。
魔裟斗の蹴りが股間に入るなど想像もしたくないですが、それはKIDも同じ。試合は中断が取られます。
本当は手も足も痙攣が止まらなかったみたいです。
それでもKIDはファンのためにと試合を続行。
結果は判定負けとなってしまいましたが、勝敗以前に、KIDの株を上げまくった試合です。
2、3ラウンドはKIDが劣勢になるシーンが多かったです。
しかし、KIDの踏込のスピードは半端なく、もう1度1ラウンドで見せてくれた魔裟斗のダウンが見れるんじゃないかと、ファンも悲鳴に似た歓声を上げていましたね。
終盤はほとんど喧嘩状態。
でも、これこそファンが求めていた試合。
それを提供してくれたKID対魔裟斗。
やはりK-1を代表する2大カリスマでした。
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KIDのためのイベント「HERO’S」
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魔裟斗戦の後、マイク・ザンビディスと戦います。この試合は右肩を故障していたようであり、精彩を欠きました。
対村浜、魔裟斗戦のような体の分厚さがなかったように見えます。
ザンビディスの右フックをもろにくらい、失神KOで、表舞台に出てから初のKO負けを喫します。
その直後のポストファイトインタビューがKIDらしかったですね。
楽しかった、気持ちよかった、今すぐにももう1試合やりたい、などポジティブな言葉がどんどん出てきます。
負けた悔しさを隠していたのかもしれませんが、負けた直後にあんなにもさわやかな笑顔を見せられるのもKIDの魅力ですね。
魔裟斗、ザンビディスと2連敗が続いたKIDですが、KIDの本職は総合。
その本職を活かせる舞台が出来上がります。
「HERO’S」K-1と同じFEGが主催する、総合格闘技の大会です。
この大会で、イアン・シャファー、ホイラー・グレイシー、宇野薫、須藤元気、宮田和幸、イストバン・マヨロシュ、ビビアーノ・フェルナンデス、ハニ・ヤヒーラなど、国内外のMMAトップ中のトップを次々と撃破していきました。
今でもKID紹介VTRで流されるのは、対宮田和幸戦。
伝説の山本KiD の4秒KO#山本KID pic.twitter.com/dl8Fa9YOUm
— イムラ🍍 (@imy01439500) 2018年9月18日
ゴングがなったと同時に飛び膝で宮田選手の顎を破壊。
宮田の力の前にKIDも苦しめられるかと予想されましたが、試合は4秒で終了。
「ヤバい、かっこよすぎる、俺」
勝利マイクの言葉、まさにその通りでした。
KIDの死後、この宮田戦が繰り返しVTRで流れ、宮田選手もあまりいい気はしなかったと思いますが、その宮田選手がTWITTERでKIDへのメッセージを投稿した時は、何か灌漑深いものがありましたね。
HERO’S初代ミドル級王者として、宮田戦で十分に力を見せつけてくれました。
宮田戦の1戦前、KIDはHERO’S初代ミドル級決勝戦を須藤元気選手と戦い、右フックからのパウンドでKO勝利を治めていました。
KIDが巻いた初めてのベルトです。
その後は現在ONEバンダム級王者、DREAMバンダム級王者にもなっているヒビアーノ・フェルナンデス相手に勝利。
腕十字を決められかける危ないシーンもありましたが、そういうピンチから勝利をつかむのも、KIDの人気を高めることになりました。
そして現在UFCで活躍中のハニ・ヤヒーラにもKO勝利。総合ではKIDに敵なしを、十二分に見せつけてくれた時期です。
膝の故障からの下降線、そして事実上の引退へ
ハニ・ヤヒーラ戦後の2008年中盤、DREAM.5でジョセフ・ベナビデスと対戦予定でしたが、練習中右ひざ前十字靭帯を故障。
手術を受け、成功はしたものの、ここからKIDの戦績は、明らかに下降線を辿ります。
私が一番失ってしまったなと思ったのが、その野生味。
格闘技のセオリーなど関係はなく、本能のままに動物的に相手に襲いかかり、かみつくような雰囲気が、それまでにはありました。
須藤元気戦の開始直後なんか、獲物を狙う肉食獣です。
それが、なくなりました。
ムエタイをベースとして、型にはまってしまった感じになってしまったと思います。
そうなると、フィジカルで押してくるジョー・ウォーレンに勝てなかったのも納得はいきます。
怪我からの復帰後1戦目だったので、この負けはしょうがないと多くのファンが思ったと思いますが、次のチョン・ジェヒでの衝撃失神KO負け、2009年DynamiteでのDREAM対戦極対抗戦で行われたKID対金原戦でも判定負け。
「KIDは完全に落ち目だ」そういう声は、明らかに多くなってきました。
一度はDREAM.14でキコ・ロペスにKO勝ちするも、その後参戦したUFCでは勝ち星なし。
総合格闘技の中心は、KIDから青木真也へと徐々に移って行ったと思います。
2015年、UFCでローマン・サラザール戦を最後に、公式戦への出場はなし。
その試合もKIDの指が偶発的に相手の目に入るなど、無効試合となりました。
身体も小さくなり、それと反比例するようにタトゥーの数も増えていく。
これでは中々ファンの数も増えにくく、地上波でもその姿は見なくなりました。
度重なる故障で、予定されていた試合も出来なくなってきます。
結局、KIDのリング上での最後の姿はサラザール戦で、しかも無効試合という結果。
本人にとっても、納得のいかないキャリアラストであったと思います。
その後、私がKIDを見たのはAbema TVの企画「ジョーブログ-プロボクサーへの道」でした。
ユーチューバーであったジョーブログ氏を、プロボクサーにまで鍛え上げる企画でしたが、そのトレーニングにKIDも付き添います。
そこでKIDが教えたのは、柔軟体操や柔らかい筋肉の大切さ。
日本で活躍していた当時は、練習前後の柔軟体操をおろそかにしていたそうで、それが自身の怪我に繋がったと思っていたと思います。
さらに、食事にも変化が。
元々動物好きのKIDで、番組でも闘犬文化に対し絶対の非を唱えたKID。
ベジタリアンからヴィーガンにまでなりました。
こちらもAbema TVの企画ですが、「格闘代理戦争」という企画のなかで、KID自身の推薦選手を鍛え上げていた際、コンビニ食の禁止、ジュースの禁止、さらに自身の栄養に対する考え方も言っていました。
仲間を大切にするKID。
選手としてもそうですが、自身のジム「KRAZY BEE」での統率力も相当なものだったと思います。
なんせKRAZY BEE所属の選手は、皆大体KIDと似たような喋り方しますからね。
みんな真似したいと思うんでしょう。
たしかにカッコいい喋り方をします。
「KIDの体調がおかしいのではないか」という憶測が飛び交ったのは、格闘代理戦争セカンドシーズン。
ジムで見られた姿が、以前よりも明らかに痩せ細っているようでした。
ヴィーガンを公言しているので、そのせいかなとおもったりもしましたが、やはり病気。
自身の推薦選手の試合の時も、会場には姿は見せず、「今アメリカに行っている」という事で欠席をしていました。
次戦のためかと思いましたが、癌の治療のためだったんですね。
KID戦を見たかった3人のMMAファイター
KIDくらい名を上げれば、この選手ならKIDに勝てる、面白い試合をしてくれるという選手が何名か出てきます。
私にとって、それは3名。
レメギウス・モリカビュチス、所英男、青木真也の3名です。
まず一人目のレメギウス。
通称レミーガですが、所英男とともにZSTを盛り上げたMMAファイター。
K-1にも参戦し、村浜武洋、我流慎吾、安廣一哉に圧勝します。魔裟斗とも対戦し、そのスピードは魔裟斗も戸惑うほどのレベルです。
KIDとは身長、体重とともに同じくらいでしょう。
KIDも「レメギウスとはなるべくやりたくない」と言っていたと雑誌か何かで当時読んだ記憶があります。
それだけ危険人物だったという事ですね。なんとレメギウスも実は既に病気で亡くなっています。強い選手が若くして亡くなると言うのは、本当に悲しい気持ちになりますね。
次に所英男。
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KIDとの対戦を最も強く望み、かなわなかった選手です。
KILLER BEEの弾丸小僧である山本篤には1戦1敗とイーブンの成績でしたが、堀口恭司に負けるなど、ついに親分KIDを引きずりだすことは敵いませんでした。
そして青木真也。
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この3人でどれか一人見れるとしたら、KID対青木が一番見たいです。
ファイトスタイルはまず明らかに違いますし、全く以て打ち解けられるような間柄ではなさそうですね。
青木対桜井マッハが行われ、青木が失神KOで負けた際、KIDが
「強くてキモいより、強くて格好いい方がいいね、やっぱり」
とコメントしています。
明らかにアンチ青木。
明らかに毛嫌いしています。
こうなってくると、対戦してほしいと思うのがファン心理。
仲良しこよし同士の試合よりも、憎しみ合った同士の喧嘩ファイトが見たい。
特にそれがKIDに野生味を取り戻すためのストーリーだったのに、それは実現せず終わりました。
KIDのキャリア終盤は、その対戦にストーリが作られていなかったと思います。
それが完璧に近い形で出来たであろうというのが、対青木戦です。
しかし見たかったですね。
想像しただけでワクワクします。
ちなみに、青木選手からKIDの死後コメントは出ていません。
受け継がれるKID魂
現在、MMA最前線にいるKIDの門下生は堀口恭司、矢地裕介、そして今後は岩田翔吉なんかが表舞台に出てくるでしょう。
彼は9歳の時、KIDのKILLER BEEに入門したそうで、それからの付き合いのようですね。
堀口はUFCで活躍し、もうすぐ対那須川戦が待っています。
そこで、KID対魔裟斗戦で見せたようなパフォーマンスを堀口が出来るかという所に注目です。
勝てた後、そのマイクも楽しみですね。
矢地はこの前負けてしまいましたが、現在KRAZY BEE所属の筆頭選手。是非今後復活してほしいですね。
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まとめ
村浜戦で見せた喧嘩師の目つき、勝田・ナラントンガラグ戦での無慈悲さ、魔裟斗戦でのカリスマ性、
そして宮田戦での衝撃。
たった26試合のなかで、これだけ記憶に残る試合をした選手は他にいません。
キャリアの終盤こそ負けが込み、勝利の女神からは見放されましたが、その影響力は絶大。
KIDが亡くなった後、各方面から追悼の言葉が送られました。
その人望がどれだけ強かったか、よく分かる事実です。
短く太い人生とは、まさに彼の人生でしょう。
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今後彼のような選手は出てくるのか?少なくとも日本にはいませんね。
カリスマ性と強さを兼ね備えた選手。丁度魔裟斗と同じような選手が出てこないのと同じように、です。
それも悲しいですが、それだけ日本格闘技に山本KIDあり!という事実を分からせてくれます。
その人生、キャリアは短くとも、他の選手に与えた影響は誰よりも上。
まさに格闘の神様の子供だったと、彼がいなくなりあらためてその存在の大きさを実感しました。
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